繁盛看板店 会社概要
大阪で看板を作り続けて半世紀。 繁盛屋看板店です
繁盛屋看板店 店主の柳井です。
看板はお店の顔ですからね。 あまり安物ばっかり追いかけると後悔しますよ。
しかし、お金さえかければ良い看板が出来るってこともないんですよ。
やっぱり、集客力を持つ看板作りにはツボがあります。
私は、長年の経験の中で培ったツボを押さえた看板作りで
あなたの商売繁盛を全力でサポートします。
どうぞ安心して任せてください。
困ったら看板親父に何でも聞いてください。
私の携帯電話番号を書いておきますので、ホントなんでも聞いてくださいね。
看板屋の親父 繁盛屋看板店 代表取締役 柳井正
直通携帯電話 090-6913-3533
電話やメールでは、うまく伝えられないと言うお客様は、是非一度ご来店ください。
社長のこだわりのブレンドコーヒーでおもてなしいたします。
看板屋の親父 柳井正の回顧録
高校を出て、舞台美術と照明の仕事を5年程やり、結婚を期に、突然「看板屋」になるぞ !!と決めました。
まず、文字書きの先生のところへ いざ入門 !
そこでは筆洗い、お遣い(お酒・たばこを買いにゆく)が主な仕事。
「この道は10年かかるぞ」 (ウーン・・それでは一人前になるころは30歳半ばか・・・)
『よし!』 独学でモノにしてやろうと思い立ち、昼は「看板屋」さんへ勤め、木枠トタン看板の製作やハケでペンキの下塗り・上塗り、現場での取付の手伝いに明け暮れる毎日E・。
幸いにも、ハシゴや脚立には乗り慣れていたし、カナヅチやノコも日常使ってたので、舞台仕事が随分役立ちました。
後年、「電気工事士」の免許取得や「ネオン工事士」の資格を取る時も「照明」の仕事をしていたのがそのまま生きてきました。( 何でも経験しとくものですねぇ。何が役に立つかわからない・・・。 )
看板屋さんから帰宅して、夜は新聞紙を束ねてマス目をひき、ひたすらゴシック体や明朝体を毎日々々書いてました。
そんな日々を過ごすうちに腕にも少々自信がついてきました。
ある時「文字書き」募集の広告に目がとまり、転職しました。
転職して初めての書き仕事では、文字通り "おっかなびっくり" で、1文字仕上げるまで、書いては消し~を繰り返し30分もかかっていました。(笑)
またまた夜は自宅で猛勉強です。その甲斐あって2年くらいで「文字書き」として独立することができました。
大阪府枚方市で小さな店舗付き住宅の貸家を借り、自分で作って書いた「看板」を掲げました。
昭和51年11月。 念願かなって、いよいよ自らが「看板屋」さんとしてのスタートです。
看板屋の親父 柳井に是非メールをください。
こちらのメールフォームは、看板屋の親父 柳井正に直送されるメールフォームです。
繁盛屋看板店への叱咤激励をおまちしております。